Amazonで買ったものレビュー(ルンバとKindle oasis)
Amazonプライムデーで家電商品をいくつか買いました。
大きなものとしては、
1.ルンバ(Amazonモデル)
2.トースター
の3点です。
結論から言うと、上記三点はどれも買ってよかったと思える品々です。
ルンバはアプリを経由して掃除開始のキューを出すことができます。スケジュールを設定し、決まった時間に掃除をすることもできるので、定期的に綺麗にしてくれます。
スケジュールを決めるだけでなく、「自分が家から離れたタイミングで掃除開始」という設定にすることもできます。私はしていませんが。
ゴミは結構吸ってくれます。掃除後のルンバの中を見ると、ホコリがびっしり入っており、「この中で生活していたのか」とがっかりするくらいです。
忙しい方々にとっては生活必需品といっても過言ではないかもしれません。(その他には食洗機、乾燥機能付き洗濯機などもよく重宝されていますね)
2階に持っていってもちゃんと階段から落ちずに掃除してくれるので、安心して外出できます。
ルンバは充電が少なくなるとホーム(充電器)に戻り掃除を終えるのですが、ホームがない場合は、適当なところで掃除を終えてくれます。
一点注意しておかないといけないのは、床に物があるとうまく掃除ができないことです。
しかし、床に物を置くことはそんなにないし、むしろ片付け習慣となるので行動変容には良いのではないでしょうか。
その手間もかけたくないという方には向いていません。
Kindleについては、端末購入と一緒にkindle unlimitedにも加入してみました。普段は月額980円ですが、3ヶ月99円でしたので、まんまと契約しました。
kindle oasisはシリーズ最上級モデルで値も張りますが、物理ボタンがついています。これのおかげで、ほとんど動くことなくページ送りをすることができます。
タブレット端末での読書はページ送りの際に画面をタップする必要がありますが、その手間すら省かれると完全に読むことに集中できます。また端末が軽いので、どのような本でも片手で読めるのは魅力です。(iPadは絶妙に重い)
また、バックライトではなく反射光を利用しているので目へのダメージは少ないそうです。(これについての科学的な根拠はわかりません)
寝る前にスマホなどを見ると目がチカチカしてきますが、Kindleではちゃんと(?)眠くなります。寝る前の読書で眠気がくるのと同じ感覚です。
スマホなどで目がチカチカするのは環境と画面照度の差によるといわれていますが、画面照度を最小にしてもチカチカします。iPhoneやiPadではホワイトポイントを調整できるそうなので、そちらも試したいと思っています。
液晶がブルーライトを発することは周知されていますが、白色電球から発生するブルーライトのほうが液晶からのそれよりも量・質ともに多いというのはあまり知られていないのではないでしょうか。
月に2冊以上でも読めば大体の元はとれる計算ですので、読書好きには良いのではないでしょうか。ラインナップも変わりますし。
私は、選択肢があればあるほど迷うことに神経を使ってしまい、選んだ頃には疲れて読めないという状況になることが多いので、購入してゆっくり読むほうが向いているように思います。
様々なレビューサイトがありますが、少しでも参考になれば幸いです。
中古レッツノートSZ5を使っての感想
以前の記事でmacbook proからレッツノートに変更したことを記載しました。
それから毎日仕事や私的で使用してみての感想を、備忘録がてら書いていきたいと思います。
仕事面といっても、勉強したことをワードでまとめたりとか、研究データ入力にエクセルを使用したりといったことがメインです。
(なぜ研究データを取り扱うのに職場のPCを使えるようにしてくれないのかは本当に疑問ですが)
【よかった点】
1. スライドのズレが生じない
学会のデータ、とくにオーラル発表の際にスライドのズレが生じないことです。
(学会に応募するときは基本的にポスターですが)
それから、スライドを作るときに余白やコンテンツの位置の目安に使うグリッド線が、Windows版のほうが細かく表示されることも実は嬉しいところです。Mac版で同じように表示しようとすると、グリッド線を何本も出して手動で設定する必要があります。
2. 本体が軽い
本機の質量は819gと、以前しようしていたmacbook proの重さ1.5kgを遥かに下回っています。ケースを付けたiPadよりも軽いので、初めて持ったときは非常に驚きました。本体に厚みがあるので、「この見た目でこの軽さかよ」とギャップも相まって余計に軽く感じます。
3. 動作の体感差がない
以前、とくにWindows vistaあたりの時期は、圧倒的にmacの動作のほうが機敏であったように感じます。しかし、現在使用しているWindows10の使用感はmacbook proと大差ありません。起動時間も10~13秒程度です。数年単位で使用していると、また変わってくる部分とは思いますが、現時点では体感差はありません。
【微妙な点】
1. マウスがないと使いにくい
すべてのWindowsマシンとmacを比較したときに出てくる項目でしょうか。マウスポインタの速さの調節などができるので、ある程度は使えるようになるのですが、とにかくmacのトラックパッドの完成度は高すぎるのだと思います。
一方で、マウスを使用する機会が増えたので、必然的にパソコンに向かうような前傾姿勢が少なくなり、肩こりは生じにくくなったように思います。
2. スリープモードにうまく移行しないときがある
なぜかスリープモードにいかずに、画面だけがブラックアウトし、強制終了するしか対処できないときがあります。こちらは設定で、時間が来ても画面が消えないように設定することで解消しました。そのぶん、手動でスリープモードにする必要がありますが。
3. 気軽に使おうと思わなくなった
macは前述したようにマウスいらずですので、どこででも使えることがメリットとして挙げられます。しかし、本機はマウスがないと使いづらいという点があるので、例えば「ソファの上でサッと取り出して使う」という行動はかなり減りました。そのぶん、iPadの利用頻度は増えましたが。
ちなみに、「macはretina displayだから目が疲れにくい」と書いてあるブログも散見されますが、私個人の意見を申しますと、アンチグレアの画面のほうが圧倒的に疲れにくいと思います。ですので、今後光沢ディスプレイの商品を買ったとしてもアンチグレア液晶シートなど装着します。
(写真編集など色を見る仕事内容の方々には、macの画面の方が向いていると思います。)
これらのことが、今思いつく2つの機器の差異ですね。今後レッツノートを数年使えばさらに両面を捉えることができ、今後どちらを使用していくか検討できるようになるでしょう。
macから離れたことで、macの便利だったことにも気がつけたので良かったと思います。
今後アップルシリコン搭載になるなど、大きな変化が起こるので、それらをWindowsマシンを使用しながら見届けたいと思います。
パソコンを買い替えました。macbook pro→レッツノートへ
このブログ誰が見てくれているのだろう。
パソコンを買い替えました。2011年から2020年7月までmacbook proを使い続けました。(2009モデル、2015モデルの計2台)
それまでは「macbook pro最高やわー」と思いながら使っていたのですが、就職してやれ学会、やれ抄録、やれ勉強会、やれ研究データ解析だので、なんだかんだWindowsを使わなければ(あるいはWindowsでないと少々不便)な機会が増えてきていました。
そんなある日、いつも通りmacbook proを使っていると突然フリーズしてしまい、起動するも操作できずに強制シャットダウンされてしまうという事態になってしまいました。
それまで、特に問題なく動いてくれていたのに本当に突然の出来事だったので驚きでしたし、何よりデータがおじゃんだと思い、これを機に研究やめるかとも思ったくらいでした。(データはクラウドストレージにアップされており事なきを得た)
とはいえ、PCがなければ何もできない。(なにもできないを理由にすべて投げ捨てることができる貴重な機会だったかも。。。)
私生活では引っ越しやらなんやらで大きな出費が重なっていたので、5万円以内を予算としました。
レッツノートへの秘めたる想いを胸に中古を検索するとたくさん出てくるも、型が古すぎる or メモリ4GB or HDDのものばかり。(自分で変えればよかったのですが)
くまなく探していると理想のスペックのもの発見。ラス1だったので躊躇なく注文。
翌日には届きました。
初レッツノート。買ったのはsz5(ドライブレス)です。
か、軽い…。
なんとケースを付けたiPadより軽い。驚き。
使用していたmacbookは1.5㎏あり、最新モデルでも1.3キロ程度あります。
買った当初は「軽いな」と思っていたものの、毎日持ち運ぶには地味に重いのです。
1㎏切ると、なるほど、これは元には戻せそうもないです。
さらにノングレアディスプレイなので目が疲れないし、見えにくいからと顔を動かさなくてもよいのは嬉しい。
別に写真、動画編集はしないので文句がない。
さらにレッツノートは頑丈さがウリ。
ポンとカバンに入れて持ち運び、さっと取り出して作業する、みたいなことが可能なわけですね。
私はカフェとかではPC開きたくないタイプですが。
もうひとつ嬉しいのは、キーストロークが深いところ。
タイピングめっちゃ楽しい。なんだこの感触。パチンパチン。叩くようにタイプできる。
こんなに叩くの好きだったかな。パチンパチンする性癖をお持ちの方の気持ちもわからんでもないかなと思います。叩く対象が異なるだけで。
突然なにをいうのかという読者の皆さんには申し訳ないのですが、そもそも誰も見ないだろうという。
駄文がさらに駄文になりそうです。
おしまい。
まとめ
- 約10年間macbook proを使用していたが、故障を機にWindows(中古)へ乗り換えた。
- 本機(レッツノート)は軽量かつ頑丈で、非光沢液晶のため目に優しく、さらにキーストロークが深いことから、作業が捗るものとなった。
- 一方、長年Windowsに触れていなかったため、メンテナンスの仕方などの機器管理方法は再度学習する必要性がある。
- クリエイト作業をせず、見栄えを考えなければ中古マシンは最適解である可能性がある。
人はわかりあえないのか。アニメを例に。
人はわかりあえないのか
現代社会における命題の一つではないでしょうか。
アメリカでは黒人男性が白人警察官に殺され、人種差別デモが起こっていますし、日本ではSNSで誹謗中傷された女性プロレスラーの方が自殺しました。
どちらも、お互いにわかりあえなかったことも事件の一要因ではないでしょうか。
そもそも人類が国境や人種あるいは文化を超えてわかりあえることは可能なのでしょうか。
アニメで例えながら考察したいと思います。
ガンダムでは、連邦とジオンという2つの軍が敵対しています。お互いに大きな戦死者を出しながら、最後は地球連邦軍が一年戦争の勝利を収めます。最後はアムロとシャアの攻防戦が繰り広げられます。
最初は敵対していたアムロとシャアは、続編であるZガンダムで同じ軍に所属し、互いに手を取り合い戦う道を選びます。昨日の敵は今日の友。ファンにとって夢のコラボを実現したのです。
しかし、それから数年後の世界。映画「逆襲のシャア」では、なんとシャアはジオン軍の総帥として君臨し、地球に隕石を落とそうとするのです。それを食い止めるため、再びアムロとシャアは敵同士となるのです。
ちなみにガンダムは機械なので燃料で動きます。
では、新世紀エヴァンゲリオンを次の例にしましょう。
主人公のシンジくんは、ある日(数年ぶりに会う)父親に呼び出され、「エヴァに乗って使徒と戦え」と言われます。シンジくんは、いきなりそんな事言われても無理だ、できないと声を荒げますが、できなければ帰れと言われる始末。そんな物語の始まりをします。
エヴァンゲリオンの世界では、特務機関ネルフが「人類補完計画」なるものを実行しようとしています。これについてはググればいくらでも出てくるのでザックリ説明することとします。
人間はATフィールドで人間の形を保っています。ゆえに個体として多くが存在しているのです。その個体により社会が形成されているのがエヴァの世界です。
ではATフィールドがなくなるとどうなるのか。
LCLという液体となります。つまり、個体ではなくなるのです。
人類補完計画は、人類のATフィールドをなくして全人類を一つにしてしまおうという計画です。
シンジくんは内気な少年で、他人との接触を避けてきました。「僕なんかが…」というウジウジした性格だったのですが、アニメ終盤では「僕は今の世界がいい」と、結局は人類補完計画に反対し、形を取り戻した登場人物から「おめでとう」と言われ物語が終わります。旧劇場版はまた違うエンドになっています。新劇場版は全く新しい世界になってしまっています。ちなみに新劇場版ラストは6月公開だそうです。
アニメ版エヴァンゲリオンでは、人類、少なくともシンジくんに関わる人達同士はわかりあえた結末を迎えられたと解釈して良いと思います。他人を受け入れることを選択したのだから。
ちなみにエヴァは電源で動きます。ケーブルに繋がれて。
ガンダム、エヴァンゲリオン、どちらも数十年前のアニメで、現在もなお人気の衰えないアニメです。が、もうひとつのアニメを例に出したいと思います。それが「伝説巨神イデオン」です。
イデオンとガンダムは同じ監督です。昔は玩具メーカーがロボットをデザインし、それを売れる商品にするためにアニメとして放送するという流れでした。商品として決まってしまった形のものをアニメ放送するため、デザインを変更することができないのです。
イデオンの見た目に関してはググってください。そして、ガンダムやエヴァンゲリオンと比較してみてください。
当時イデオンのデザインを見た監督が、「こんなの第6文明人が作った遺跡ですよ」と比喩したことは有名な話です。
当時の案では、トランスフォーマーのように乗り物が人型ロボットに変形するため、十数メートルの設計だったようです。しかし、監督はじめ制作スタッフが懸命にシナリオを作った結果、アニメ放映時は105メートルと超巨大ロボットになっていたのです。おもしろいですね。
イデオンでは、地球人とバッフ・クランという宇宙人の戦いが描かれます。物語開始では戦争はなかったのですが、偶然地球人とバッフ・クランが出会い、互いに初めて見る人種故にわかりあおうとしないまま戦争に突入します。次第に舞台は宇宙へ変遷し、全人類VSバッフ・クランという壮大なスケールとなります。
イデオンの原動力はガンダムのように燃料でもなく、エヴァのように電源でもなく、「イデ」という未知のエネルギーで動きます。ちなみに「イデ」のエネルギーは無限です。無限力(むげんちから)なので燃料切れはしません。
この無限力を利用したイデオンガン、イデオンソードという武器があるのですが、射程は無限だし攻撃力は無限だしでいわゆるチートです。スーパーロボット大戦シリーズでも完全にバランスブレイカーです。
実はこの「イデ」、無限力の正体は第6文明人の集合無意識なのです。イデを利用して人類はバッフ・クランと戦うのですが、時折、イデは人を導くこともします。ある人をワープさせたり。
物語終盤で、地球人の子を宿したバッフ・クランの娘がその父親と話し合いをする場をイデがセッティングします。その子がこの戦争を収めるためのキッカケとなり得、そのことをまずバッフ・クランが知る必要があるからです。
しかし、異星人の子を宿した娘に対して父は激怒し、話し合いどころではありません。
怒り狂ったあまり、「宇宙の果ての果てまで追いかけてでも異星人の船を叩け!」と言います。
その瞬間であった。イデの発動が起こったのは。
イデがその無限力を開放したのです。
すべてを包む白い光によって、全人類が滅び、因果地平の彼方に吹き飛ばしたのです。
最悪のバッドエンドですね。
お互いがわかりあえないからこそ生じた、その種族そのものの全滅。
ちなみにエヴァの人類補完計画は、イデオンの物語に影響されています。
もっとも、エヴァはわかりあうことを選択したのですが。
このように、アニメから学べることは数多くあります。
インスタに真っ黒な画像を投稿したり、白人と黒人が笑顔で並んだ写真を投稿したりすることも必要なのでしょうが、そのときしか意識しないのであれば、それらの運動も何ら役割を果たしません。
事件があってから一斉にそのような行動をするのではなく、常に、ひとりひとりが意識しなければなりません。
投稿は量で測ることができますが、普段からそのように考えて行動しているかという質的側面も重要です。
アジア人も黄色人種で差別対象ですが、だからといって人種差別が許されるわけではありません。
非暴力で解決しなければなりません。その方法を考えるためにも、人には大脳皮質が発達しているのだから。
お互いが手を差し伸べるキッカケになるという面では、新型コロナウイルスの流行は良かったのかもしれません。
もし、人間がお互いをわかりあえないのならば…イデの発動が起こるかもしれません。しかし選択によっては、人類補完計画の失敗に終わるかもしれません。
この記事を読んだあなたは、どちらの結末を望みますか?
人は人の中で生き続けることができるかもしれない
人生とは何かを考えることは、出口の果てしなく遠いトンネルをくぐるようなもの。漠然と答えは見えるけれども辿り着けない。人生そのものは迷路のようなもので、いくつもの選択肢がある。ときには遠回りをしたり、壁にぶつかったりする。
幼少期の、目の前のなにもかもが新しかった頃は、人生とはなにかなど考えることもなかった。思春期は漠然と自分の存在価値を考えることが増えた。そして似たような境遇の者同士が集まった。また祖父母の死に直面し、深い悲しみを覚えた。母子家庭だったので高卒で働くつもりでいたが、医療職になることをこの頃に決めた。就職し、新たな家族を迎えると、人生とはなにかを考えるようになる。死とはなにか、生きるとはなにか、といったまるで哲学的な思考に入り込んでしまう。
起床し、仕事をし、帰宅して家事育児をし、就寝する。基本的にはこの定型的な生活リズムが出来上がっている。言い換えると、新たなイベントに出くわすことが少ない。たまにおとずれる新たなイベントは、自然災害や新たな病の流行などのため、より一層新たなイベントに関する警戒心だけが強くなり、「普通が一番よね」という保守的な思考ができあがってしまう。(もちろん普通に生活できるということは何物にも変え難い)
私の敬愛する高齢医師(70代後半、見た目は60代前半)がいる。若さの秘訣を尋ねると、「子どものように何にでも興味を持って、少年のように何でもやってみることかな」と言われた。先生の抽象化された言葉が腑に落ち、スーッと心が晴れたことがある。
その先生とは滅多に会わないが、会ったときには「おう」と気さくに手を振ってくださる。先生にとっては誰にでもしていることだろうが、私にはとくにそれが嬉しく思える。
もうひとり、80後半になり妻の介護をしながら、非常勤で勤務されている高齢医師(故人)がいた。その先生は身体機能が弱ってきており、シルバーカーを使用されていた。もちろん歩く速度も遅いし、見た目も年相応に見えていた。
しかし、ひとたび口を開くと、非常にハッキリとした通る声をしており、レスポンスも早かった。頭はまるで30代か40代のままなのではないかという気もした。
医局にその先生を訪ねると英語論文を読んでおられた。しかも専門外の論文も読んでおられたのでその理由を聞くと、「大きく外科と内科だったものは分化して、より専門的な知見を得られるようになりました。ですが、その次にはどのように連合化するのかということが課題なのです。我々は、少なくとも私は、医師で苦手な分野はあっても良いと思うんです。しかし、専門外だから知りませんというのが一番いけない。」と言われた。言葉が出なかったことを思い出す。
それ以来、私も総合的に各分野の論文を読むように努めるようにしている。その先生は90代で亡くなったが、その2ヶ月前まで入院先から勤務されていた。「今仕事しなければ、まるで下り坂をゴロゴロ転がるように悪化してしまう」と言われていた。
高齢医師に関する(批判的な)ツイートを多く見かけるが、みながそうではなく、少なくとも、私の周りにいる医師はそれらのツイートに当てはまらない(であろう)医師と思う。
今でも先生方のお言葉には救われており、心に刻んでおります。
こうして、人は人の中で生き続けるのだろう。
自分を成長させるためには何が必要か。コミュニケーションの視点から。
頭が良い人を思い出してくださいと言われ、どなたを思い出しますか?
その選考基準の一つに学歴があると思います。有名塾講師の〇先生、神脳の〇〇さん、〇〇王に出演されている方々など、驚くほど頭が良いと思う人はたくさんいます。しかし、だからといって彼(女)らの言うことが全て正しいとは言えません。にもかかわらず、「この人が言うから間違いない」と思ってしまう人も多くいます。
コミュニケーションとは難しいものです。
「頭が良いと思う人を思い出して」という話題中だけでも、「頭が良い人」の定義を決めなければ、その話題における共通の理解は得られません。
「Aと伝えたつもりがBと受け止められていた」というように。
自分の意図をなるべく正確に誤解なく伝えるためには、そのキーワードの定義を明らかにすることです。例えば、「緊急事態宣言が発令された」といっても、そもそも「緊急事態宣言」の定義を明らかにする必要があります。これら共通言語に関する定義の共通理解がなければ、どれだけ話をしても一方通行になりかねないのです。
(蛇足:漢字は表意文字(字そのものに意味がある)なので、なんとなく意味が想像しやすいが、カタカナあるいは英語などの表音文字(文字そのものには意味がなく、音を表す文字でしかない)は意味推測ができず、言葉そのものの意味を知っておく必要がある)
※政府の緊急事態宣言を批判するものではありません。
しかし、友人とただ雑談をするときには、定義を明らかにしないまま話すことのほうが多くあります。むしろ、話題の勘違いが生じたほうが、後から笑い話になるといったことさえあります。
つまり、話題と相手によってコミュニケーション(ここでは言葉使いの他に表情などの非言語的コミュニケーションも含むものとします)のとり方を変える必要があるということですね。
特に子どもと話すときは要注意です。
子どもは、大人と比較して相対的に経験と知識が少な(い場合が多)く、何でも聞いてきます。ときには「そんなこと考えたこともなかった」というようなことさえも聞いてきます。このような質問をされたときに、その人の誠実さが問われると個人的には思っています。
「うるせぇ、昔からこうなんだ」とか、「俺(私)にそんなこと聞くな」とか、とにかくつっけんどんに対応するのは如何なものかと思うわけです。
そもそも、子どもに対して大人(親)が感情的にムキになるということそのものが、もしかすると誤りかもしれませんね。脳の成長という観点から見ると、子どもは大脳皮質は成長過程にあります。より大脳皮質が発達している大人が柔軟に対応せず、思考力の高い後世を残せるでしょうか?(DLPFC:背外側前頭前皮質の成長は20代後半まで成長。40代から機能低下し始めると言われる。脳部位の中で一番遅く成長し、一番早く機能低下しはじめる。)
感情は素晴らしいものです。犬猫などの動物でも感情はありますが、喜怒哀楽を言語化し表出できるのは人間の特権です。それを他の人とわかちあえるのですから。
感情に生きるのは生き物として素晴らしいことである一方、理性と知性も含まれていなければ、感情は醜くもなります。特に言語化できる人間は、より一層醜態をさらすことになってしまいます。人間にとって感情は諸刃の剣ともいえます。
では、どのようにすれば自己の成長を促せるのか?
自分自身を客観的かつ多面的に捉えることができる、いわゆるメタ認知することが、自分の今後の成長課題を見つけられる一つの手段ではないでしょうか。
(続)次のPCはWindowsかMacか?
2011年からmacbook proを使用し、その操作性とiPhoneとのスムーズな連携に感動して現在でも使用しています。(今は2015年に購入した2代目)
しかし問題点があります。まず、Windows版Officeソフトとの互換性が絶妙であること。そのため学会発表用のスライドは絶対に訂正が必要という事態になります。次に、OSアップデート毎に、これまた絶妙に統計ソフトの不具合が生じる点。統計にはR(EZR)を使用しているのですが、mac版は直接データをいじれないことやインストールが少々面倒であるなど、どうしてもWindows版と比較して使いづらいのです。やはりフリーソフトは動作含めてWindowsの強みかなと思います。直接コード入力するまではいきません…。となると、業務上の小さな手間を省くためにはWindowsを使用したほうが良いように思います。
Windowsマシンは選択肢が多い一方でどれを選べばよいかわからないといった悩みが散見されます。私が気になるのはDELL xps13、HP dragonfly、mouse x4あたりです。特にマウスコンピューターは日本製で電話対応可なので安心という声も多く聞かれます。そして安い。気になって公式サイトを覗いたのですが、mouse x4はずーっと入荷待ち状態なのです。人気なのでしょう。
私がPCを買うにあたって検討する点は、①用途は何か、②持ち運ぶのか、③外出先で使用することが多いのか、④重い処理をするのか、⑤日常的に使用するのか、といった点です。
私はメール、ブラウジング等一般用途のほか、オフィスソフト、ブラウザ、統計ソフトを同時に立ち上げて処理することもあるので、メモリは大きいほうが安心です。今のmacbook proは8GBなのですが、今後のソフトのアップデートに伴うメモリ消費量など勘案すると、長く使うと思って16GBのほうが良いのかと思うこともあります。東大が公開している脳を再現する画像ソフトなどを使用することもあるので、やはり16GBが理想かなとは思います。どのみち、最低8GBは必要です。
CPUはcore-i5あれば十分です。動画編集などはしないのでi7までは必要ないと自己判断しています。
PCゲームはしないのでグラフィック性能は気にしません。ディスプレイはアンチグレアだと嬉しいですが、グレアタイプでも現在はフィルムを貼ることで対応できますね。
あとは学会にいったときにメモとして使用するくらいでしょうか。(Bluetoothキーボードを買ってメモとして使用できないか検討中)
学会云々いうので持ち運ぶ可能性はありますね。実際は職場のPCも使用できるので、実はそんなに持ち運ばなくてもよかったりします。
重さは1.5kgを超えるとズッシリ感が増すので、軽ければ軽いほうが良いでしょう。その点、1.1kg程度のmouse x4や、1kgを切るDELL inspiron 7390、HP dragonflyは有利です。しかし、モバイル性を重視しすぎると代償になるのがバッテリー駆動時間です。軽ければ軽いほど、バッテリー駆動時間は短くなる傾向にあります。
ちなみにメーカー公表値の駆動時間を見るより、バッテリーの容量を調べるほうが良いと思います。
バッテリー駆動時間ではDELL xps13、insiron 7490などDELLのPCは強いです。
これらのようにPCに求める条件をたくさん考えるわけですが、ちょっとした調べ物はスマホで十分だし、研究が本業ではないので持ち運んで重い処理をするのも本当に時々だろうし、逆に持ち運べるPCを買うと、それに甘えて目的もなく触り続けるのではないかとも思うわけです。
つまり、機械に使われる状態になりそうなんですよね。
今みたいに文章を書くだけなら、スマホのOfficeアプリを使ってBluetoothキーボードを使えば十分にできますし、なんならそのままブログ投稿までできるわけです。
必要性をしっかり判断して慎重に選ぶことで物への愛着も湧くし、大切に使えますよね。
物に限らず、情報や食品など様々なものが溢れている現代ですが、自分に必要なものは何か、考え直す良い機会になりますね。
私は考えるよりも先に使って、それからを考える機会のほうが多いかもしれませんが。